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サービスマンの誇り

  • 山口 祐臣
  • 2017年1月19日
  • 読了時間: 3分

2011年3月11日に発生した東日本大震災。 東京では交通機関が麻痺し、9万人以上とも 報じられた帰宅難民となった人々が街に溢れる 状態になりました。 宿泊施設は満室。飲食店は満席。コンビニの食 品棚は空。寒さと空腹、トイレも困る状況の中 2000人もの人々を受け入れたのは 日本屈指の高級ホテルである帝国ホテル。 困っている人々に水とパンと毛布を提供し携帯 を充電することもできるロビーを開放すること で、安心して一夜を過ごすことが出来る空間を 提供しました。 朝には温かいスープも振る舞われたそうです。 東日本大震災から遡ること88年前に発生した、 関東大震災。 揺れによる倒壊と合わせて発生した大火災により 周囲が焼け野原となり、焼け出された人々が多数 発生しました。 その際も帝国ホテルは被災者の避難場所として開 放され、おにぎりなどの炊き出しを行いました。 また、在外公館や社屋が崩壊した新聞社などにス ペースを提供するなど復興に尽力しました。 また、このような話もあります。 1936年12月。アメリカの公民権運動指導者のW ・E・Bデュボイスが日本を訪れた際、最後の夜に 宿泊したのが帝国ホテル。以下抜粋です。 「最後の日に、私が東京の帝国ホテルで料金を支 払っていると、大声でしゃべる典型的なアメリカ の白人女性が割り込んできて、用事を言いつけた。 アメリカであれば係りの者はただちに彼女の方を 向いて、彼女の応対をしないまでも、詫びを言う とか言い訳くらいはするところであろう。 しかし、東京では違った。彼は目で合図もしなけ れば頭をめぐらせることもなかった。彼は注意深 く私の応対を終えると、ゆっくりと日本式の丁寧 なお辞儀をして、それからアメリカ人の方に向き 直った。」 たとえ著名な黒人指導者であっても、黒人である かぎり白人と対等に扱われることのない国に生活 するデュボイスにとって、これは胸のすくような 思いがしたことであろう。 平成4年度早稲田大学史学会大会公開講演 「W.E.B.デュボイスと日本」1994年 早稲田大学西洋史 竹本友子教授 より。 東日本大震災の日には「帝国ホテル創立120周年 感謝の集い」が催されている最中。 関東大震災の日は「開業レセプション」。 いずれも華やかな晴れの日に大災害に見舞われる という数奇な運命。 長い時を経た後にも変わらず、困難に敢然と立ち 向かい、お客様はもちろんあらゆる人々に分け隔 てなく接する姿に、究極のサービスマンの姿と誇 りを強く感じます。 まるで連綿と受け継がれるDNAのように。 関東大震災当時、帝国ホテル支配人を務め。後に 社長となる犬丸徹三は、こうした言葉を残してい ます。 『一流と言われる会社にいる人が一流なのではな い。「一流の人」が働いている会社こそ、一流な のだ』

 
 
 

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