市松模様は誰のもの?
- polissa
- 2021年6月14日
- 読了時間: 4分
ブログを更新するのは本当に久しぶりです。 商標権に関する特許庁の判定について、SNS上などで話題になっています。いくつか気になる点がありましたので、私なりの解釈を述べておきたいと思います。
特許庁ホームページ 判定2020-695001
フランスのルイ・ヴィトン マルティエ社が京都の仏具屋さんを商標権の侵害であるとして特許庁へ通報したものです。それにより当該仏具店の製品は一時、販売停止となり、ホームページ上からも削除されたものです。
争点としては、仏具屋さんで取り扱っている日本の伝統的な模様である市松模様を用いた数珠入れなどの製品が、ルイ・ヴィトン マルティエ社のダミエ柄の国際商標を侵害しているかというものでした。
仏具屋さんのホームページ
ルイ・ヴィトンのホームページ
判定文にある通り、ルイ・ヴィトン マルティエ社の国際商標登録に基づく商標権侵害であるとの通報は無効であるとの判定になりました。
判定文にあるルイ・ヴィトン マルティエ社の製品には、トアル地と呼ばれる特殊コーティングを施したキャンパス地の表面に特有のシボ(凹凸)加工が施されていることに加え、LOUIS VUITTONと自社名が入れられています。これらが商標上、一般的な市松模様と異なり権利保護の対象となる主な理由であると考えられます。他方、仏具店の製品にはそれらがない上、市松模様の四角形の大きさや色が異なることも十分に識別可能な相違点であります。 今回の通報の真の意図は、推測ですが、横行するコピー品や類似品流通の抑止のための日本市場における自己顕示的な意味合いで商標権の侵害との通告を行ったのではないかと考えられます。 ルイ・ヴィトンのダミエ柄はパリ万博に端を発する日本文化の伝来と流行にインスピレーションを受けたとされ、ダミエ柄が生まれるまでの過程において、無地、グレー色の”グリトリアノン”で王侯貴族に向けたトランク製造をスタートしたものの、高品質であるがゆえに偽物が横行し、それら模倣品との差別化を図るため、ストライプ柄の”トアルレイエ”が生まれ、それでもなお偽物の流通が止まらなかったために、市松模様のダミエ柄が生まれたという歴史的な経緯があります。
マダムフィガロ『時代と旅するルイ・ヴィトンのトランク、パリのカルナヴァレ美術館に勢ぞろい。』
自らの歴史において、商標権の侵害に苦しんだことがあること、さらに自社のファンが多い日本での訴訟であること、訴訟相手がダミエ柄のルーツともされる日本の企業であり、日本固有の伝統的、宗教的、民族的な背景を持つ仏具店の営業に対して、影響力を行使しようとするからには、より慎重な対応を行うべきであったのではないかと思います。実際、SNS上でも批判的な論調が目立つ結果となったことは、非常に残念に思います。
ちなみに同様のケースとして、話題になった『鬼滅の刃』の作中で登場人物が着ていた着物の模様の商標登録申請のうち、主人公が着用していた、緑と黒の市松模様柄が申請拒絶となったようです。おそらく、ルイ・ヴィトン マルティエ社の問題と同一の見解と考えられます。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/kimetsu_jp_60c18ddee4b0b449dc356e18 ハフポスト『【鬼滅の刃】煉獄杏寿郎ら3人の柄を商標登録。一方、炭治郎らは「拒絶理由通知」。その内容とは?』 江戸時代中期の歌舞伎役者が着用していた袴の柄であり、その役者の名前が由来とされる市松模様。古来から広く一般に普及し、その国の文化的背景を持つ模様を、特定の企業や個人が独占する専用権を主張することは、一般的な企業活動や人々の生活に馴染まないものです。その一方で、企業や個人の創意工夫や努力の結果である、デザインや意匠を不正に利用したり、いわゆるタダ乗りするようなやり方も望ましいものではありません。とかく法的判断は勝った、負けたという結果にのみフォーカスが当たりがちですが、それらは表面的な結果に過ぎないものです。その国固有の文化や、著作権などの権利への理解を深めることが、従来より一層、重要性を増しているのではないでしょうか。 ちなみに、1857年にフランスで「製造標及び商業標に関する法律」が制定されたのが世界最初の商標権の確立とされています。